11/18/2006

Google Earthをもう一丁

Google Earth Watchingをもう一丁。若しこんな物が中国にあるとしたら、それは何でしょう?







Google Earthのインストールがお済みの方は、下のランドマーク情報をダウンロードし、覗いて見て下さい。場所は中国新疆ウイグル自治区と甘粛省と内モンゴルの境目。
http://www.williamlong.info/google/upload/149_Giant_lines.kml

座標 41° 8'44.50"N 93°20'36.13"E 
の周辺には巨大なサークルが幾つも。
座標 41°10'55.83"N 93°23'25.75"E 
の場所には得体の知れない建造物が。

http://www.williamlong.info/google/archives/149.html

『微笑む兄弟よ』 by 撒韬

続けて微笑みを学習しよう
この世界でもっとも深い言葉を
出あった見知らぬ人を 全て兄弟と見なせよう

紺碧の下で裸麦は金色に輝き
村の入り口の白樺は落日の中
風を以って 柔らかい汗を拭きぬく

夜は松明と休息のもの
若かったら 愛を歌い上げよう
微かに映る山影と伴に

こんな広大な静寂の中
例え先知であっても なにを捧げられよう
怒り 赤い血 全ての無意味な代償
草原に浸み込んで
雨後の馬群の餌になる

飛翔する者も滑走中の者も
耕作する者も洞窟を掘る者も
微笑む兄弟であるべき
一緒に
安らぎの世界で遭遇し
共に座り 道路と橋に立つ風見となる

11/17/2006

Google Earthは見た

人民網の軍事チャンネルにGoogle Earthから取った衛星写真画像が載った。そのタイトルは中国空軍試験基地のGoogle衛星写真。
 
座標分析と他の関連資料から、この基地は甘粛省の鼎新空港だと突き止めた。ここは外電による報道の非常に多い空港でもある。

外電によると、鼎新空港(座標:40°23'56"N,99°46'52"E)は、台湾の清泉崗空軍基地(座標:24°15'40.91"N,120°37'48.47"E)をコピしている。滑走路とその他の施設は、寸法、形が完全に同じように出来ている。精密弾道ミサイルとクラスタ爆弾による攻撃の結果計測用に作られている。。

この画像には、正確な座標と、新鋭機種が載っている。



三段目右よりのその大型機に注目、それは恐らく中国国産のKJ2000哨戒機である。下の図面を参照。



哨戒機は台湾侵攻には不可欠である。関連資料を調べて見ると、試験空港としての鼎新空港にKJ2000が駐留したことは確実にある。この写真は1,2年前に物と推測する。

この機種に関して、今年6月3日に大事件が起こった。同型機が安徽省でテスト飛行中に墜落、搭乗人員全員が死亡、40名以上のトップクラスの研究者が同乗している。それはまさか写真に写っているものではなかろうか。

図面の一番下はロシア製Su-27戦闘機。下記写真参照。



他の空港でも中国が購入した新鋭戦闘機や、自力開発したものも見かけられる。下の蕪湖空軍基地には、6機のSu-30MKKが観察できる。



Su-30MKKの図面を参照。



張家口空港の国産殲11戦闘機。



殲11の図面を参照。



瀋陽飛行機製造工場の殲8IIと殲11戦闘機。



Google Earthから見られる中国の戦闘機は非常に多いので、ご興味のある方はここにてごゆっくり。Google Earth观察军事设施栏目で関連ランドマークをダウンロードできる。

《月光博客》より http://www.williamlong.info/

ご紹介します~。

この人は誰でしょう?ヒント:中国じゃかなりのVIP、とってもエライです~。だから、あっちこっちに色紙やサインを要請されて、もらった人はとってもそれを大事にしています~。



はい、もう一枚どうぞ。



さて、そのの墨宝の数々だ。ゆっくりご鑑賞を。











答えは――はい。そうです。この御仁は、かの毛沢東の孫なのだ。

中国中央テレビのWEBサイトには、彼の個人コーナーがあり、略歴をこんな風に紹介している:

新中国の創造者毛沢東の孫、毛岸青(毛沢東の次男)と邵華の息子。1970年1月17日出生。中国共産党党員、中華全国青年連合会常務委員、北京市西城区政治協商会議委員。

1992年7月中国人民大学歴史学部卒業。1992年9月から1995年7月1992年7月まで、中央党学校理論部にて修士課程を履修、後に中国軍事科学院で博士課程を履修し、2003年7月に博士号を取得。現在中国軍事科学院にて研究を従事。

因みに、この人の研究テーマは「毛沢東の軍事思想」だそうだ。成果の程は詳しく知らないが、最近の彼の発言に、こんなのがある――

「私の長年の研究で分かったのは、第二次大戦中に貢献(何の貢献は言っていない)の大きい国は二つある。一つはソビエトで、もう一つは中国だ。私のお爺の指導の下で、中国人民は八年間の抗戦を行った。統計によれば、中国共産党が率いる八路軍と新四軍および地方の武装と合わせて、150万の日本軍を消滅した。」

――少々常識のある人なら誰でも知っているのは、第二大戦中の中国の指導者は、中華民国大統領である蒋介石なのだ。

彼のお爺は、その時延安の「窯洞」(土倉)の中で、精気を養い、内戦のために実力の温存を図って、対日本軍の戦闘を極力避けるように、前線部隊には命令をしょっちゅう飛ばしていたのだ。

開いた口が塞がらないというのは正にこんな事をいう。

気分転換に、さわやかな青年の写真を2枚。





蒋介石元大統領の二人の曾孫である。蒋友柏と蒋友常、米国で教育を受け、今は二人で台湾で広告会社を経営している。

中国では「字は人なり」というのがあります。ドクター毛新宇の目障りの字を見て、気分が悪くなった方のためにどうぞ、口直しならぬ、目直しだ。台湾を中国歴史上初めての民主化社会に導いた蒋緯国元大統領の筆跡、内容は単なる日常公務についての指示。





「悪搞」だ、悪フサゲだ

中国には訳の分からない、冗談みたいな彫刻が至るところに見かけられる。そんな彫刻を拾って、ネット上で「悪搞」(チャカ)している人たちがいる。これも一種の言論であり、社会批判なのだ。中国の世相を知る上で、こうした「悪搞」を理解するのはかなり役に立つ。 その幾つかを取り上げてみる事にしよう。



“宪法顶个球”――憲法の頂上にボールが...、「頂」と言うのは動詞で「値する」という意味。「「球」と言うのは「毬」の当て字、つまり英語のBowlが「きんたま」を指す場合と同じ意味合いだ。「顶个球」の中国語の意味は「屁にもならない」、直訳すると「憲法はキンタマだ。」、意味としては「憲法は屁にもならない」ってところかな。この「有名な」彫刻は今も西安にある西北政法大学の図書館の前に聳え立っている。




“科学顶个球,民主连球都不顶”――今度は北京大学のキャンパス、科学の頭文字Sと、民主の頭文字Dと並んでいる。Sの頂上にはボールが、Dの頂上はボールさえないということ。なので、「科学は屁に値するが、民主は屁にもならない」。




“三个代表顶个球”――これはズバリ「三つの代表は屁だ」、正論かもw。台座に「三つの代表」と言う文字が刻まれている。しかも球の上には、星の付いた雲が渦巻いている。全く意味不明...




“读书顶个球”――正解!そうなんですよ。これは「勉強は屁にもならない」というタイトルらしい。大学を卒業しても、仕事がないことを言っている。




“扯蛋”――これは球を引っ張っている様子を表している。中国語で「蛋」はタマの別称、「扯」は引っ張る。「扯蛋」というのは、「ふさげんな!」とか「ばかをいうな!」と言う意味。...煙台の街中に立っているが、なんでこんなもんを?




“二奶要报仇”――「二奶」は中国語で「お妾さん」のこと、この彫刻は皆さんに「復讐するお妾さん」、と名づけられている。 お妾さんを養うのは中国の官僚の間ではかなり流行っていて、往々にしてその汚職問題の暴露はお妾さん問題から発端するとのこと。




“拉面女神”――これは簡単ですな。ズバリ「ラーメンの女神」だ。



“美女裸奔”――「裸の美人ランナー」、台座には「新しい時代へ」、かの江沢民がご満悦の女歌手宋祖英が似たようなタイトルの歌を歌っている。江沢民の指導下の中国の繁栄振りと讃える内容だ。




“劳燕分飞”――「離散する恋人」、ひと昔の中国の大学生にはかなり切ない彫刻だ。卒業すると、国に指定された職に就くため、別れなければいけないのだ。今はというと、折角大学を卒業しても就職難、そんな贅沢さえ言ってられないのだ。



“工人阶级等于0”――嘗て成都の街頭に立つこの彫刻は「労働者は無に等しい」というタイトルが皆に付けられていた。0の上に立っているためだ。




撤去される「労働者」――やはり具合が悪かったらしい...


-to be continue-

11/16/2006

『風は語る 夢を語る』

O CAPTAIN! my Captain! our fearful trip is done;
The ship has weather’d every rack, the prize we sought is won;
The port is near, the bells I hear, the people all exulting,
While follow eyes the steady keel, the vessel grim and daring:
But O heart! heart! heart!
O the bleeding drops of red,
Where on the deck my Captain lies,
Fallen cold and dead....


若かりし頃のアメリカが生んだ偉大な詩人ウォルト・ホイットマンWalt Whitman (1819–1892)の詩O CAPTAIN! my Captain!の一節だ。ロビン・ウイリアムズの主演映画『今を生きる』の中で終始を貫くテーマでもある。

暗殺された大統領エイブラハム・リンカーンを哀悼するこの詩は、正義と勇気の賛歌である。

17前の1989年の六月のその夜、18歳の青年は天安門広場で断食に入っていた。軍が北京に突入、彼は受けた傷を癒した後、故郷に帰った。北京師範大学文学部2年生の彼は退学処分となり、失意な日々を容儀なくされた。

そんな時期に彼を励まし、勇気づけたのは、こうした偉大な詩の数々に違いない。

中国西南の高原地帯、貴州省の僻地で、彼の『今を生きる』は始まり、そして美文が生まれた。

『風は語る 夢を語る』

最初に着いたのは軍需工場の付属学校の教職だった。周辺は農村地帯、僕の宿舎のすぐ隣にはカルスト地形の石山と田んぼだった。

その年19になる僕は、災難の後の都から逃げ帰ってきて、幾度もの世の転変を経験した思いであった。何年か経って振り返れば、その時には、災難が既に歴史の中で流されてゆき、僕が遭遇したのはその余震に過ぎない。

初めの頃は、自分は時空ともに誤植された異邦人の様で、手紙を書き、追憶に深け、読書をしていた。ご飯箱を持って山頂に立ち、夕日の墜落を目撃した。田んぼの水面には名残の紅がかかっていて、とんぼが舞う中、蛙は鳴り止まない。蒼蒼たる静寂の高原にいて、心情はまるでグラーグの流刑者だ。

講壇に立って生徒たちに対面、工場と近くの村から来た何十の瞳が目に映り、流刑の思いは遂に消え去った。教室の窓の外はたまに水牛が往来し、子供たちは貧相な服をまとい、そんな彼らの間でも工場出身者は農家の出に対しては優越感が見えた。

最初の従業の内容はもう思い出せないが、そこから立ち直り新たな道を歩みだした。過去は死んだ事にして、僕の命は始まったばっかりなのだ。

国語の時間には何故かピタゴラスの数論が話題に、歴史の授業でこの国の栄光と残酷さを教えた。ちゃりんっこに乗ってピクニックに行き、生徒たちと戯れ、音楽科の代講には羅大佑(台湾のシンガーソングライター)の歌を皆と合唱した。

規定の範囲はなく、可能性だけが広がっていく。深夜、彼らの作文を添削すると、往々にして彼らの作文よりも長々と書き添えてしまう。彼らもいずれは成長し、無数の理想の破滅の痛みに耐え、鉄の壁のような現実にぶつけるのであろう。僕には彼らの所謂出世を保証するのはできないが、かれらには、生は一回きりのものと知ってもらい、珍重と感謝の気持ちを捨てずにいて欲しいのだ。例え未来の日々に無限な暗黒が満ち溢れても、胸の中にある誇り高き、繊細な自分だけの松明は、消えてはならないのだ。

工場出身の生徒には、他人への軽蔑は自分に対する最大な軽蔑であることを諭し、村から来た子には夢は郷土と家族に対する愛情に託すべきだと教えた。

そして、僕は彼らに教えた。平凡な日常の背後にはより高い次元の力が存在し、この力こそが宇宙の秩序を生み、人類にその一生を捧げて真理に近づかせ、無限な時間の中での存在価値と意義を証明させているのだ。

こうして彼らの練習帖に書き込んだ言葉は、自分に言い聞かせるものでもあった。

その年の月給は77元。軍需企業従業員の手当てと合わせて100元ちょっとだった。一年後には昇給し、倍の200元近くになったが、たりうる時は一度もなかった。週末にはいつも街に出て、お爺がやっている牛肉屋で肉を分けてもらい、食事に足した。貧しくでも気は楽、毎週のように僕の宿舎で炊く牛なべは、僕と若い同僚たちのちょっとしだ宴会だ。

もちろんのこと、青い恋も経験した。僕たちの滔々たる荒々しい情熱は、沈黙の山々と、夏の風雨と、日の差した廊下に見守られ、そしてすべての暖かい思い出と薄れてく記憶に見守られている。

僕の「死せる詩人の会」(映画『今を生きる』の原題)も一年余りで終焉を迎えた。沿海の南方に来て長い時間が経っても、子供たちの手紙が続いた。彼らは僕たちの秘密の誓いを守り、この世の中が如何に恥知らずになっても、僕らには好奇心と、幻想と、敬う気持ちを持ち続けるのだ。

毎回こうした手紙を受け取ると、自分に言い聞かせることがある。そこを離れてやっと分かったことは、そこで過ごした日々が、一生の内のもっとも安らぎの充実した時期であり、僕の最終的な帰途を案ずる灯りでもある。

生徒たちは成人し、嘗ての同僚たちも各地に散った。忘れもしないものは、教室の中での議論と笑い声、子供たちが秘密を告白してくれる時の困った顔、早朝の自習の前、山道でのランニング、菜の花畑の中で僕に近づく心を動かすあの子。

時間は故国を覆い被る砂塵。風だけは語る、僕らの夢を。


FIN

11/15/2006

チベットの民 信仰の民


世界は化石燃料を巡って今日も争う、
ダライ・ラマの民は今日も笑っている。
去る9月30日、幼い子供9名を含むチベット人70名は、
信仰の的、ダライ・ラマの元へ向かった。
ネパール国境に接する6,000メートル級のヒマラヤ山脈の峡谷の中で、
彼らは中国国境守備隊の無差別的な銃撃を受け、
18歳になる尼が命を失った。
負傷者も数人出し、後にもう一人が亡くなり、10人以上が逮捕された。
Give me liberty or give me death.
一行は黙々と国境を超え、自由と信仰へ旅立った。


山々の向こうには自由がある。

(友人からネット越しに届いた写真)

賭博特別区

広東省のシンセイという町は、日本人の方々にも馴染み深い経済特別区であり、経済改革の経験を積むためという名目で、昔から中央政府から様々な優遇措置を受けてきた。

基本的に、1980年代から始まった中国政府による経済改革の本質は、早期において、完全な放任と無作為そのものだと言っても過言ではない。

特に1989年の六・四事件後は、北京での凶行を人々の記憶から消し去るために、鄧小平自らが経済特区と指定していたシンセンに赴け、「発展こそは道理だ」と拍車を掛け、それまでイデオロギー重視の「社会主義国」である中国は、ブレーキが外されたように、血みどろな資本主義初期段階に猪突猛進して行った。

法律と金融システムの欠落した状況の中、「「経済改革」という大義名分の下で、欲だけが横行し、中国の「社会主義性」は瞬く間に瓦解し、どこから見ても、この国は猛烈な勢いで麻薬や売春、ギャンブルが横行する、腐りきった「資本主義国」に変貌を遂げている。

この過程の中で人々が得た最大な教訓は、「やったもの勝ち」ということに違いない。なにしろ、経済改革には、往々にしてルールがないだけでなく、むしろそのルールを壊すことが改革になるというのが真実だ。

実社会でさえ法律の規定が曖昧なので、インターネット上はなお更である。中国政府は、反政府言論や、共産党批判に対しては努力惜しまず封鎖やら、検閲やら厳しくやっており、巨額の予算を掛けて、悪名高いGFWまで作り上げたが、ポルノや賭博に対しての管制は見せしめ程度の検挙に止まっており、実状は非常に甘いのである。

ところで、今回台湾「中央報」が報じたネットギャンブルの胴元は、そこらへんのチンピラや悪党ではないのだ。それはなんと、広東電信管轄下のシンセン電信そのものである。 日本で言うならばNTT東日本の横浜支社が独断でネットギャンブルをやっているような事柄だ。

シンセン電信は「中国游戏中心」(中国ゲームセンター)なるネットゲームサイトを運営しており、そのゲームの中で使う擬似貨幣の発行、両替を取り扱っているのだ。こうした業務は全て堂々と各営業窓口で行われているのである。ゲームの参加者は、ブラックジャークなどの博打に参加し、一回の掛け金はというと、多い時には、一人20万人民元(300万円)というから驚くものである。

このシンセン電信のギャンブル疑惑は今のところ、報道されただけで、なにも処分を受けていない。さすがはシンセン特別区、なんでもありの奇跡な街。

11/14/2006

北朝鮮特集――『金正日語録』

嘗て小生が住んでいた、かの中国にも、『毛主席語録』なるものが存在していた。この語録が人々の日常生活に与える影響は自由な社会に住む皆さんにはピンと来ないに違いない。

その独裁者が日々適当に言っている戯言が、十戒のような、法律のような絶対たるものなのだ。

如何にも馬鹿馬鹿しくでも、それにしたがって生活しなければ行けない国民はとても哀れだ。

それでは中国のBBS 上で公開された珠玉の数々、「金正日語録」をどうぞ。


「節約は生産である。」 ――ならどんなに楽か。

「外交とはオウレンを食いながらでも笑っていないと行けない交際活動である。」 ――そうか、全部うそだね。

「意志の強い人にとって、不可能という言葉はない。あるとしても、朝鮮語ではない。」 ――こんな精神論はどんな国でも狂っていた時期には似たり寄ったりだな。

「人生観の基本と核心は首領に対する忠誠である、人生の本当の価値と幸せもここにある。」 ――かなり身勝手だね。

「首領に対する忠誠は、信念として、良心として、道徳として、生活として現実化しなければならない。」 ――つまり洗脳だね。

「忠臣も奸臣も身辺にいる。」 ――そいつはだれだ?

「若者の職場には歌や踊りがないとだめだ。歌と踊りのある仕事場に初めて革新がありえる。」 ――仕事って、いいね。

「歌と踊りのない生活と青春は、花の香りのと生気のない花に等しい。」 ――うん。だから喜び組だな。

「共産主義者の人生は闘争から始まり、闘争で終わる。」 ――お前にはいいけど、道連れが可哀相。

「首領は国家と民族の運命であり、全ての幸福の象徴だ。」 ――だとすれば、その逆もありえる。

「革命は首領の指導の下で前進し、首領の懐の中にいて、人民は初めて本当の生活を過ごす事が出来る。」 ――全く意味不明、なにをいってんの。

「偉大の首領と偉大の党が偉大な人民を創造する。」 ――それって、魂を注入するってこと?

「高明な首領の指導がなければ、群衆は脳のない肉体に過ぎない。」 ――なんだ、北朝鮮の国民は皆、ゾンビか?

「卓越した首領がいなければ、人民が親のない孤児である。」 ――でも皆、お前から「親離れ」したいのはなぜ?

「首領の幸せがあれば、必然的に人民の幸せがある。」 ――こりゃ論より証拠だね。

「思想が全てを決定する。」 ――超マジックの始まりだ。

「思想も、技術も、文化もチュチェ思想の要求に従わなければならない。」 ――ならチュチェ思想以外に何も必要ないじゃないの?

「愛国はチュチェであり、チュチェは愛国である。」 ――なんかの呪文みたいだな。

中国的RMTの驚愕

インターネット上でRPGゲームやポータルゲームに参加するために使うお金、バーチャル貨幣の売買がいまや日本でも問題になっている。RMT(Real Money Trading)というこの珍商売は、一説によると日中両国間だけで毎月5,000万円以上の取引が行われている。

通常は、人件費の安い中国で人を雇い、日本で流行っているゲームに参加し、勝ったバーチャル貨幣を日本の業者に売るという流れ。

日本の業者はというと、忙しいサラリーマンや、学生ゲーマーにそれらを小売するのだ。なぜその需要があるのかと言うと、忙しい人は、そのゲームに参加しても、時間が中々取れないため、ランクの上達が遅く、せっかくゲームに参加しても、バーチャルの世界で苛められ立場に立たされるのだ。

この状況を変えるためにはそうだ、お金だ。お金でバーチャル貨幣を買い、ゲームの中で装備や元気をいっぱい身に付け、そしてゲームの中で注目の的に――ちょっと悲しいかな。

ともあれ、インターネットゲームは中国国内でも絶好調だ。

さすがは人口の多い中国大陸、現在もっとも人気のあるコミュニティサイトTencentの加入者は2億人以上、元々このサイト内でのゲームや各種のサービスの支払いに使われるバーチャル貨幣の取引にはなんと1億人が参加している。

その名も「Q幣」、この会社のIMツールソフトQQに由来する。取引の量が膨大なため、ついには中国中央銀行に当たる中国人民銀行が調査に乗り出す始末に。(右側で失恋の自棄酒を飲んでいるのはQQのキャラクター)

何故なら、「Q幣」はTencentサイトの内部での流通に止まらず、ネット上での様々な品物売買の支払いに使われている。

取引の量の膨大さもさることながら、相場の変動の恣意性もあり、これは確実に人民元の貨幣地位を動揺しているのだと中国の専門家はいう。

【国内関連記事】

11/13/2006

怒れる人々


さて、この彼はなんのために抗議しているのだろう…


なにやら手には犬の絵柄のポストとぬいぐるみが…


おっと、警察出動!しかも「特警」の文字が…機動隊だぞ。


最近の北京では、商売以外にこんなに人が集まる事は滅多にない。


一騒乱だ、収まる様子もなさそうだ。


なるほど、我が家のワンちゃんがこんな惨状にならないために、最近行われている無差別な犬狩りに対する抗議なのだ。
皆さん、頑張って!応援してますう~。

『陰謀のセオリー』

『陰謀のセオリー』はメル・ギブソンとジュリア・ロバーツが共演したハリウッド映画で、国家の持つ情報コントロール手段の恐ろしさを描いている。

GFWはGreat Firewall(巨大な防火壁)の略称で、海外のメディアによる「国家公共网络监控系统」(中国インターネット検閲システム)に対する俗称である。

政府が自国のネットワークに出入りする情報をモニタリングするのは中国だけの話ではなく、例えばアメリカ政府も全ての国民の電子メールをスキャンしている。だが、それは通常、単にデータを記録し、テロなどの防犯に役立てているまでである。

しかし、2003年に完成された「金盾プロジェクト」の一部機能としてのGFWは、海外にある全てのウエブサイトを監視し、中国政府に対して不利な報道や情報を発信するサイトのURL、IPアドレスを完全にシャットアウトしている。

そのもっとも典型的な事例はWikipedia中国語版に対する封鎖だ。2005年10月に、一瞬の内に、中国全域でWikipedia中国語版へのアクセスが中断されたのだ。

丸1年経った今年10月に、その解禁が噂されるようになった。そして先週の金曜日(11月9日)に、噂が現実になったと中国国内のブロガーたちは喜んだ。

残念なことに、解禁は事実だが、中身は素直に喜べないものなのだ。何しろ今回の解禁は、Google.comの検索に対する封鎖と同じくして、都合の悪いコンテンツへのアクセスは封じられているだけではなく、アクセスした後に、ターゲット項目だけではなく、Wikipedia中国語版全体のURLが自動的に置き換えられ、暫くの間、インターネット上から消えているようになるのだ。

こうした情報操作は非常に恣意的であり、その時の政治情勢に左右されることになっている。中国政府が、その時々の状況に応じて、特定の情報を公開するかどうかを決めている。

皮肉な事に、中国インターネットのこうした裏事情を知らない一般国民に対する情報の封鎖は、往々にしてデマを生み出す事になってしまう。

例えば、日中関係の改善に努めるこの次期には、「南京大虐殺」や、「釣魚島」のような項目は、なんとGoogleでは検索できなくなるのだ。しかし、この恰も「日本側に対する配慮」のような措置は、一部のネット初心者と反日青年の間ではとんでもない陰謀説を生んだ。

それはなんと、「Google内部の親日派の誰かが意図的にそれをやっている」、そんなバカな!

因みに、使いやすいという事で、筆者はここBlogspotを選んだが、書き始めて行き成り、先月(10月)の25日から中国国内から通常手段ではアクセスできなくなている。

11/12/2006

さて、例の美味しいブログ文だ!

『成都よ、今夜は俺の胃腸を痛めつけ給え』  陳暁卿

時はすでに真夜中、梁碧波は奴のぼろいジープで一行を乗せ、徘徊の末、新南門の駅前に駐車、道路を挟んで向かいは「半辺橋デブ婆ちゃん豚足の店」、梁は俺の好みを良く掴んでいた。入店し、座るなり、豚足を人数分頼み、目の前で白く、眩しく輝いた。

俺の動きはちょっと鈍かった、何しろこれは今日の四食目で、それまでに取った食事もとってもしっかりしたものだった。

マジで困惑した、胃腸は特に勤務時間外、もっと食うとしたら、脇の下にしか行き先がない感じだった。しかし、目の前に出された芸豆と一緒にじっくり煮込まれた豚足を見ているうちに、食欲が「海綿体」のように膨張してきた。食うしかない!プッチーニアリア『冷たい手を』が耳の中で鳴り止まないうちに、熱々の豚足は俺の口付けで消え去った。理性よ、どうしていつもこんなに脆弱なんだ?

『冷たい手を』

「さあ、もっと食べて、北京で苦労したろう。」梁碧波は手を少々たれた胸の前で組み、憐れみに満ちた口調だが、目付きは如何にも得意げ。張芸謀が成都のために宣伝映画を作り、キャッチコピーを「成都、離れなくなる町」とした。それが今や、成都人たちに変えられ、「成都、逃げられなくなる町」になった。確かに、梁の奴を見れば納得できる。数年前、北京で発展のチャンスは幾らでもあったが、彼に全部拒否された。今こうして見れば、奴はこの日々腐りきった生活から離れられないのだ。

成都に戻って偉くなった梁は、秋になると必ず俺を客として招いていた。彼の頭の中じゃ、秋こそ成都のもっとも美しい季節だ。いわゆる「豊穣の年には成都や鶏豚足りる」故である。さらに、梁は文章を書く時に、ペインネームを「我愛秋」としているのも頷ける。この名前の別の意味は、四川語のできる人にしか分からない。

今回成都に来て、30時間余りの間、俺は友人の家で手料理をご馳走し、「鳳来栖」というレストランで「石爬子」(雪解け水に棲む小魚)を貪り、三聖郷の「蓮池月光」という家庭料理店で夕食、そして今、この俺はこうして「デブ婆ちゃん豚足の店」にいる。仕事のお付き合いで参加した宴会と、ホテルでの朝飯も入れれば、これは俺の6回目の食事なのだ。一体どんな胃腸をしていたら耐えられるだろうか。でも、そのうち、同伴の誰だか素麺を注文したら、俺の恥知らずの人差指はまた蠢き始めた。もう尻の下に手を挟んで置きたかったが、結局の結局、自分も素麺を一杯、頼んでしまった。

今、もう少しで夜が明ける。俺は成都という桃源郷のとあるホテルの部屋で、室内散歩して、消化を促している。成都よ、お前はマジで俺を食わせ過ぎた。