11/16/2006

『風は語る 夢を語る』

O CAPTAIN! my Captain! our fearful trip is done;
The ship has weather’d every rack, the prize we sought is won;
The port is near, the bells I hear, the people all exulting,
While follow eyes the steady keel, the vessel grim and daring:
But O heart! heart! heart!
O the bleeding drops of red,
Where on the deck my Captain lies,
Fallen cold and dead....


若かりし頃のアメリカが生んだ偉大な詩人ウォルト・ホイットマンWalt Whitman (1819–1892)の詩O CAPTAIN! my Captain!の一節だ。ロビン・ウイリアムズの主演映画『今を生きる』の中で終始を貫くテーマでもある。

暗殺された大統領エイブラハム・リンカーンを哀悼するこの詩は、正義と勇気の賛歌である。

17前の1989年の六月のその夜、18歳の青年は天安門広場で断食に入っていた。軍が北京に突入、彼は受けた傷を癒した後、故郷に帰った。北京師範大学文学部2年生の彼は退学処分となり、失意な日々を容儀なくされた。

そんな時期に彼を励まし、勇気づけたのは、こうした偉大な詩の数々に違いない。

中国西南の高原地帯、貴州省の僻地で、彼の『今を生きる』は始まり、そして美文が生まれた。

『風は語る 夢を語る』

最初に着いたのは軍需工場の付属学校の教職だった。周辺は農村地帯、僕の宿舎のすぐ隣にはカルスト地形の石山と田んぼだった。

その年19になる僕は、災難の後の都から逃げ帰ってきて、幾度もの世の転変を経験した思いであった。何年か経って振り返れば、その時には、災難が既に歴史の中で流されてゆき、僕が遭遇したのはその余震に過ぎない。

初めの頃は、自分は時空ともに誤植された異邦人の様で、手紙を書き、追憶に深け、読書をしていた。ご飯箱を持って山頂に立ち、夕日の墜落を目撃した。田んぼの水面には名残の紅がかかっていて、とんぼが舞う中、蛙は鳴り止まない。蒼蒼たる静寂の高原にいて、心情はまるでグラーグの流刑者だ。

講壇に立って生徒たちに対面、工場と近くの村から来た何十の瞳が目に映り、流刑の思いは遂に消え去った。教室の窓の外はたまに水牛が往来し、子供たちは貧相な服をまとい、そんな彼らの間でも工場出身者は農家の出に対しては優越感が見えた。

最初の従業の内容はもう思い出せないが、そこから立ち直り新たな道を歩みだした。過去は死んだ事にして、僕の命は始まったばっかりなのだ。

国語の時間には何故かピタゴラスの数論が話題に、歴史の授業でこの国の栄光と残酷さを教えた。ちゃりんっこに乗ってピクニックに行き、生徒たちと戯れ、音楽科の代講には羅大佑(台湾のシンガーソングライター)の歌を皆と合唱した。

規定の範囲はなく、可能性だけが広がっていく。深夜、彼らの作文を添削すると、往々にして彼らの作文よりも長々と書き添えてしまう。彼らもいずれは成長し、無数の理想の破滅の痛みに耐え、鉄の壁のような現実にぶつけるのであろう。僕には彼らの所謂出世を保証するのはできないが、かれらには、生は一回きりのものと知ってもらい、珍重と感謝の気持ちを捨てずにいて欲しいのだ。例え未来の日々に無限な暗黒が満ち溢れても、胸の中にある誇り高き、繊細な自分だけの松明は、消えてはならないのだ。

工場出身の生徒には、他人への軽蔑は自分に対する最大な軽蔑であることを諭し、村から来た子には夢は郷土と家族に対する愛情に託すべきだと教えた。

そして、僕は彼らに教えた。平凡な日常の背後にはより高い次元の力が存在し、この力こそが宇宙の秩序を生み、人類にその一生を捧げて真理に近づかせ、無限な時間の中での存在価値と意義を証明させているのだ。

こうして彼らの練習帖に書き込んだ言葉は、自分に言い聞かせるものでもあった。

その年の月給は77元。軍需企業従業員の手当てと合わせて100元ちょっとだった。一年後には昇給し、倍の200元近くになったが、たりうる時は一度もなかった。週末にはいつも街に出て、お爺がやっている牛肉屋で肉を分けてもらい、食事に足した。貧しくでも気は楽、毎週のように僕の宿舎で炊く牛なべは、僕と若い同僚たちのちょっとしだ宴会だ。

もちろんのこと、青い恋も経験した。僕たちの滔々たる荒々しい情熱は、沈黙の山々と、夏の風雨と、日の差した廊下に見守られ、そしてすべての暖かい思い出と薄れてく記憶に見守られている。

僕の「死せる詩人の会」(映画『今を生きる』の原題)も一年余りで終焉を迎えた。沿海の南方に来て長い時間が経っても、子供たちの手紙が続いた。彼らは僕たちの秘密の誓いを守り、この世の中が如何に恥知らずになっても、僕らには好奇心と、幻想と、敬う気持ちを持ち続けるのだ。

毎回こうした手紙を受け取ると、自分に言い聞かせることがある。そこを離れてやっと分かったことは、そこで過ごした日々が、一生の内のもっとも安らぎの充実した時期であり、僕の最終的な帰途を案ずる灯りでもある。

生徒たちは成人し、嘗ての同僚たちも各地に散った。忘れもしないものは、教室の中での議論と笑い声、子供たちが秘密を告白してくれる時の困った顔、早朝の自習の前、山道でのランニング、菜の花畑の中で僕に近づく心を動かすあの子。

時間は故国を覆い被る砂塵。風だけは語る、僕らの夢を。


FIN

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