11/12/2006

さて、例の美味しいブログ文だ!

『成都よ、今夜は俺の胃腸を痛めつけ給え』  陳暁卿

時はすでに真夜中、梁碧波は奴のぼろいジープで一行を乗せ、徘徊の末、新南門の駅前に駐車、道路を挟んで向かいは「半辺橋デブ婆ちゃん豚足の店」、梁は俺の好みを良く掴んでいた。入店し、座るなり、豚足を人数分頼み、目の前で白く、眩しく輝いた。

俺の動きはちょっと鈍かった、何しろこれは今日の四食目で、それまでに取った食事もとってもしっかりしたものだった。

マジで困惑した、胃腸は特に勤務時間外、もっと食うとしたら、脇の下にしか行き先がない感じだった。しかし、目の前に出された芸豆と一緒にじっくり煮込まれた豚足を見ているうちに、食欲が「海綿体」のように膨張してきた。食うしかない!プッチーニアリア『冷たい手を』が耳の中で鳴り止まないうちに、熱々の豚足は俺の口付けで消え去った。理性よ、どうしていつもこんなに脆弱なんだ?

『冷たい手を』

「さあ、もっと食べて、北京で苦労したろう。」梁碧波は手を少々たれた胸の前で組み、憐れみに満ちた口調だが、目付きは如何にも得意げ。張芸謀が成都のために宣伝映画を作り、キャッチコピーを「成都、離れなくなる町」とした。それが今や、成都人たちに変えられ、「成都、逃げられなくなる町」になった。確かに、梁の奴を見れば納得できる。数年前、北京で発展のチャンスは幾らでもあったが、彼に全部拒否された。今こうして見れば、奴はこの日々腐りきった生活から離れられないのだ。

成都に戻って偉くなった梁は、秋になると必ず俺を客として招いていた。彼の頭の中じゃ、秋こそ成都のもっとも美しい季節だ。いわゆる「豊穣の年には成都や鶏豚足りる」故である。さらに、梁は文章を書く時に、ペインネームを「我愛秋」としているのも頷ける。この名前の別の意味は、四川語のできる人にしか分からない。

今回成都に来て、30時間余りの間、俺は友人の家で手料理をご馳走し、「鳳来栖」というレストランで「石爬子」(雪解け水に棲む小魚)を貪り、三聖郷の「蓮池月光」という家庭料理店で夕食、そして今、この俺はこうして「デブ婆ちゃん豚足の店」にいる。仕事のお付き合いで参加した宴会と、ホテルでの朝飯も入れれば、これは俺の6回目の食事なのだ。一体どんな胃腸をしていたら耐えられるだろうか。でも、そのうち、同伴の誰だか素麺を注文したら、俺の恥知らずの人差指はまた蠢き始めた。もう尻の下に手を挟んで置きたかったが、結局の結局、自分も素麺を一杯、頼んでしまった。

今、もう少しで夜が明ける。俺は成都という桃源郷のとあるホテルの部屋で、室内散歩して、消化を促している。成都よ、お前はマジで俺を食わせ過ぎた。

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