11/22/2006

壁を倒そう!北朝鮮人に帰郷を!by 和菜頭

この世には本来そんな壁は存在しなかった。聖職者が現れ、そして森厳たる城壁が造られた。聖職者が次から次へと現れ、城壁も益々長大になる。城壁が存在するところには、天国の到来が告げられ、外の世界は悪竜や妖怪、人面獣で装飾され、人々は震えながら講壇の下で塊り、直ちに救われることを信じ、壁こそ天国と人間界の境だと認識させられる。

今日の北朝鮮はこうした城壁に囲まれており、歴史は輪廻し、我々から見た北朝鮮人は、一昔の我々自身を見ているようだ。我々は苦く笑い、気まずく追憶する。我々は朝鮮に対する態度はどうなっているだろう、私は常に疑問を感じる。この大陸の歴史上、強い帝国が生まれるたびに、「高麗征服」が主要な課題となる。我々は「上国」の気持ちで朝鮮に臨み、大量な金銭と人命を費やし、この北方の隣国の運命を左右してきた。朝鮮は歴史上我々と平等になったことはなく、我々はかの国を平等な隣国として見ることはなかった。時に幼い弟として、時には息子として扱った。

北朝鮮が今日の局面になったのは、いろんな複雑な歴史的要因があるが、我々による影響が小さかったとは言い難いことである。逃亡する難民たちは、その結果の一端に過ぎない。一つの国にこんなに沢山の難民を生み出し、難民たちが隣国に流れ込み、糾弾すべきは越境の罪ではないのである。呪い叱るべき対象は難民を作り出した張本人である!恥ずべきは襤褸を着て餓えに耐える者ではなく、人民を餓えさせ家族を離散させる者である!

三十数年前、我らも東南の沿海に死体を数里にわたって浮かべらせたことがあり、大勢の人が浮き輪一つで香港に向かった。聞くところによれば、そんな時代だと中環に入るまでに警官に捕われなければ、その人は在留資格が得られる。私はこうした香港物語は沢山聞いてきた。若し香港に行く機会があれば、私はビクトリア湾にも、シー・ワールドにも行かなくでもいい、中環には必ず行き、そんな場所をこの目で確かめたいと思う。

今日の北朝鮮人たちも逃亡の道を歩んでいるが、どうして治外法権があるはずの大使館に入っても救われないのだ?彼らにとっての「中環」はどこにある?我々が嘗て三十八度線で彼らに塀を造り、それは彼ら人民の要求だと言い聞かされている。現在、その人民は南の国へ帰還したいと願っており、なぜそれが許されないのだ?国と国の間での交際には法律に従うべきだが、その法律の一寸した隙間には微塵たる人間性の光も飾られないのか?

我らは黒竜江で北朝鮮人を捕まえ、吉林で朝鮮人を捕まえ、遼寧で朝鮮人を捕まえ、そして河北でも北朝鮮人を捕まえたことはともかく、数千キロにもわたって捕まえなかった人々に対して、最後の100メートルの時にもなって、微々たる憐れみをなんで与えられないのか?数千キロの追いかけの末、国際的な道義的には主権国家の義務を既に尽くしたのだ。どうしてこの最後の100メートルで、少しは人間性に対して関心を払い、人道主義の精神を具現化できないのだ?

人間がオリンピックでメードルを取るためなら、距離が長くでも四十何キロ走れば済むが、家族を携え、北朝鮮の国境警備隊の銃口の下を潜り抜け、数千キロを彷徨う彼らが求めるのはただの一口の飯である。にも係わらずだ、彼らを待っているのは又しも銃口だ。彼らを待つ運命は依然として、強制送還と生き地獄の労働教養院行き、これは残忍すぎだのではなかろうか?

あるドイツの観光映画を見た時、私をもっとも震撼させたのはベルリンの壁に関連した部分だ。東西ドイツを分断した境に川が流れる場所があり、西側の岸辺に、びっしりと西ドイツ人のボランティアたちの作った手摺が並び、布で親切に巻かれ、逃亡者が岸をより便利に登りあがるためだ。東側では林立する望楼と冷たい機銃以外、何もない。今やベルリンの壁は倒され、この川の岸辺の景色は、寓言として読むことができる。

北朝鮮の崩壊と滅亡はもはや多少の時間の問題、三十八度線上の壁も必ず倒れる。その日が来たときに、我々側の「岸」にはなにが残されるのか?世の人々が目にするのは一体どんなものであろう?

二00二年十二月十七日

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