11/22/2006

私をドイツと見なせ

奇しくも20世紀最後のノーベル文学賞を受賞したのはドイツの文学者ギュンター・グラスだった。氏は、第二次世界大戦中にナチスの武装親衛隊に所属、15歳の年に、彼既には潜水艦部隊に出願したが叶えず、17歳で徴集され、機甲化部隊に配属ソ連軍を迎え撃つべくドレスデンに配属されていた。

その彼は、こうした経歴が暴露された後、新作のBeim Hauten der Zwiebel (仮訳『玉葱の皮を剥きながら』)の中で、その禁断な経歴に触れ、「玉ねぎを剥く」ように過去を振返り、懺悔しながらも、良好な教育を受け、思想を持つ、主体性のあるドイツ人であればこそナチスに加担していると述べている。

2005年にローマ法王に選ばれたベネディクト16世と比べれば、ギュンター・グラスのこうした態度はそれなりに真摯的と言えよう。 青少年組織ヒトラー・ユーゲントに入っていた彼は、法王に決まる前、「入りたくなかったが、当時は仕方がなかった」と弁解した。

確かに、究極的なところ、人間は大きな時代の流れの中の身の処しかたについては、往々にして矛盾に満ち、それぞれの生存本能や価値観に左右され、時には誤った道を歩むこともある。

この二人の過去に対する態度を眺めていると、青春時代に読んだカール・ヤスパースの『哲学自伝』が脳裏に去来する。そして、遂に自分自身の運命の主になることの可能性について考えてしまう。

暗黒の時代に身を置かれ、ドイツに対する裏切り者呼ばわりされる中、ユダヤ人の妻を持つヤスパースは、妻の強制収容所送致に抵抗し続け、ナチスに対して、自殺も辞さぬ巍然たる態度で対抗し、自分の信念を守り通した。

「ドイツ人はなんだ?ドイツ人とは誰だ?1933年、私の妻はドイツユダヤ人であるゆえにドイツに裏切られ、その彼女が私よりも深く愛していたドイツを遂に拒絶してしまう時に、彼女が再びドイツを肯定するために、私は誇らしく彼女に告げた:私をドイツと見なせ、と。」

『哲学自伝』を読んだのは、1990年の春ごろ。その前の年に、北京の天安門広場で、同年代の中国人たちは祖国の未来を憂い、そして戦った。青春の熱血が戦車には勝てぬ、変革を求める抗議行動は悲劇に終わった。

そんな中で手に取ったヤスパースのこの本からは、暖かくも大きな力をもらった。

17年前の変革が挫折に帰した今日の中国は、まさしく混沌たる情勢の中にある。

「未来は人々が決断と行動を行う時の責任感に決められるもの、最終的には、億万人の中のそれぞれの個人の責任感に決められる。」とカール・ヤスパースはいう。

責任感を持って生きたカール・ヤスパースのいるドイツに祝福したい。そしてわが祖国にも。

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