11/20/2006

『西山会議講演録』 by 賀衛方

今年3月初めに、「中国マクロ経済と改革座談会」なる会議が北京郊外にある西山の杏林山荘で召集された。この会議の席上、中国法学界で人気の高い学者賀衛方、北京大学法学院教授は講話を発表し、非常に大きな反響を呼んだ。

この会議の記事録が会議終了後間もなく、海外の中国左翼WEBサイトに掲載され、賀衛方の発言を特に強調し、共産党打倒を図る言論として、中国共産党中央に検挙する動きを見せた。賀衛方教授も当時、いろんな方面から圧力を受けたと伝わってきていた。

11月8日、賀衛方は中国人気のBBSサイト「天涯」にて、『賀衛方3月4日講話定稿』を発表、自分のブログにもこの掲載を告示した。その内容は中国の近い将来を暗示する箇所が至るところに見られ、法学者であるだけに、中国の未来像を彼の講話からある程度伺えるといっても過言ではない。

逆に、中国がこの先、賀衛方教授らが示唆しているような方向かれ逸れ、集権的な政治体制を固め、民族主義、愛国主義に中国共産党がその政権の合法性基礎を求め続けるのであれば、中国は不幸な時代に逆戻り、この世界に大きな災難をもたらすこともあり得る。

賀衛方按:杏林山荘会議の後、会議の記録は一部のWEBサイトに流れ、広く論議を呼んだ。特に私の発言には大きな反響を呼び、「新西山会議事件」と呼ばれる始末だった。それらの批評――厳密に言えば大批判――の言語表現から見れば、私が講話の中で提起した課題に対し、今日の中国において理性的な論議を行うのは如何にも難しい。こうした重大な問題について実質的な論議ができない状況は、中国の前進を妨げる最大の障害の一つとも言える。

原始記録稿は速記者によるものなので、文字の誤りがただある。正確な意思を伝えるという意味においては、原稿に頼らない講話に幾つの推敲の必要な文句も含まれている。ここにおいて錯誤を訂正し、文句に幾つかの修正を加え、この最終稿にした。当時の発言が表す基本視点には些かの変化もない。

...我らには目標がある。この目標とは事実上現在では明言できないが、将来必ず歩む道である。多党制度、言論の自由しかり、この国の真の民主、本当の個人の自由、あるいは国家全体の権力は個人の自由を保障する基礎の上に成り立つこと、若しくは現在の台湾の政治体制になること。我々は中国がこの方向に歩むことを望んでいるが、明言できないのである。

...法治国家においては、基本的な原則が存在し、権力を行使する機構には、法律的な人格を具えていなければいけない、即ちそれは登記した法人でなければ、提訴と提訴される権利と資格はないのだ。しかし、わが国において、こうした条件を全然満たしていない政党(中国共産党)が存在する。我々がこの組織に参加し、私自身もこの組織に籍を置くこと早20数年、だがこの組織は登録していない政党である。とっても煩わしいことだ。こんな政党が行使する権力はどんな権力であろう?それは法外の権力である。深刻な違法行為だ。「法に依って国を治す」ってなんだ?胡錦涛同志は曰く、全国人民代表大会と各地方人民代表大会は、各種の憲法違反と法律違反を厳正に糾弾し是正しなければならないと。この組織(中国共産党)自体が行使 しているのが法律に基づいていない権力である限り、所謂憲法違反云々はナンセンスだ。

...続いて法治整備の幾つかの大きな課題を取り上げるが、限りある時間の中、要点の提示に止まる。

第一に指摘しなければ権力構造の厳重な混乱だ。現状は法治的なものでも、憲政的なものでもないのである。例えば党と議会の間の関係、党と司法の間の関係、党と政府の間の関係、こうした問題はもはや解決しなければ行けない時期に来ている。...最初に指摘しなければ行けない問題、それは権力構造全体が憲政に反することであり、もっとも深刻な問題である。

第二.人民代表大会自体の反議会的な体質。これは議会ではなく、年に一度の世界最大なパーティーだ。毎年のように皆が集まり、参政議政というが、実際には会議開催の前に決定した事項に対して「表決」するだけだ。つい先ほどショットメッセージを受信した、今回の人大会の会期が九日半に短縮したというが、私は一日でも必要がないと考える。人大会が如何に財政監督権を履行しているのかを見るだけで、これは議会ではないと断言できる。

第三.憲法第35条が規定する政治権利が普遍的に実現していないという事も深刻だ。結社の自由、デモの自由、宗教信仰の自由、こうした基本的な権利さえ実現できていない。憲法に羅列しただけで、具体的な実施の体制はなく、または具体的な法律や規定で憲法の条項を架空している。

第四.独立した司法体系の欠如。近年、我々の司法体系の地位は「穏やか」に落ちている。ちょっと前にも、周永康が最高裁判所を視察した際に、肖揚が周永康同志に職務内容を報告するとメディアは報じている。法治国家ならば、最高裁判所の裁判長が警察の長に職務内容を報告するなんで、冗談じゃない!どうしてこんな状況に陥ったといえば、十六回人民代表大会がこうした按排をしたからである。「十六大」は政治構造上に深刻な結果をもたらし、その最たるものは司法の独立が著しく欠け、近年、党が司法に対する干渉が絶えず強化され、弱化とは反対な方向に行っている。

第五.我々の政策が色んな部門から発せられ、益々混乱している。一例を挙げると、最高裁判所が、立ち退きに関する案件は裁判所が受理しないと言っている。案件を裁判所が受理するか否かは、法律が規定するものである。にも拘らず、わが国の裁判所は受理すべき案件を門前払いにしている。規則が混乱を極め、党の通達が法律を凌架している。

第六.民法の基礎は私有制度であり、特に農村の土地はそうである。続いて私有化を推し進めなければならない、土地の真の私有化を実現させなければならない。集団所有というどっちつかずの制度は止めなければ、農民に深刻な損害を与える。

第七.取引の安全を保障するのも重要な問題。取引の安全が保障されなければ、健全な発達した市場経済はありえない。この問題は司法の独立にも関連しており、独立した司法はなければ、裁判所が地方の行政権力に制限され、統一した基準で紛糾を判断できないのである。契約の条文に対する解釈が地元の有力者の態度を鑑みる状況下において、取引の安全は如何にして保障できるというのか?

要するに、経済改革は益々法治分野と緊密に関連してきており、我々はこうした傾向を認識した上で、このような会議は皆で手を携えて色んな仕事を共に進める必要性を感じさせてくれる。

追記:この掲載文は発表当初からかなりの反響を呼び、激しく論戦の末、発表されて21時間後に、コメント機能が閉鎖されている。

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