11/11/2006

「悪搞」と「8r8c」


『饅頭殺人事件』

言葉は生き物である。

スイスの言語学者ソシュールは、言語によって外界のものごとに対する概念化は、外界と言語との間にまったく関係しないところで、恣意的に行われていると考えている。

インターネットの普及やグローバル化による生活様式の多様化になどの要素に従って、中国語の近頃の激しい変貌はこの説をいかにも適切に裏付けている。

近頃中国では、「悪搞」という言葉が大変流行っている。意味合いとしては、「悪ふさげ」若しくは「チャカす」と言ったところ。

典型的な「悪搞」の例は、かの有名な映画監督、陳凱歌氏の監督作品『無極』(英語名:The Promise,真田広之, チャン・ドンゴン, セシリア・チャン(張柏芝), ニコラス・ツェー(謝霆鋒)が出演)を素材にして再編集し、上海在住の若手CG編集者胡戈は、勝手に爆笑ビデオクリップ『饅頭殺人事件』をつくり、ネット上で公開したことだ。それを見て、陳の作品に不満を持つ観衆は鬱憤を晴らせ、胡さんの「ふさげた」作品を歓迎した。(本文冒頭にあるクリップ)

「悪搞」というのは、いろんな手段があるが、中でも言葉による物はもっとも手軽である。

元の言葉を省略したり、わざと誤字脱字したり、逆に文字を増やしたりして、通常の文面で表し難い意味を伝えることは、最近の中国ブロガーの間でとっても流行っている。

この種の悪ふさげは、言葉自体に対する「悪搞」でもあり、このような処理を経た言葉でいろんな事象や人物を「悪搞」するのは単なるユーモアだけではなく、多くの場合、中国政府の提唱する事柄や理念に対する抵抗と軽視を表している。

国家主席の胡錦涛が自ら提唱した「八栄八恥」を「8r8c」(中国語の発音表記で、rは栄、cは恥の頭文字)で表記し、これを高らかに掲げて、その下に、いろんなこれらの「きれいこと」に抵触する事件と行為を並べて風刺したのはやはり王小峰で、其の作品はここにある。

本来なら、国民の道徳規範を要約して覚えやすいように短い言葉で表すのはなんの非の打ち所のないことだが、これを国家の首脳名義で公表し、しかもその文章は、詩でも歌でもなく、精彩の欠いたものなら話は微妙に変わる。

もっとも問題なのは、その中身はとっても初歩的で、国民をバカにしたような浅い道理が幾つもならんでいる。例えば「法律を守るのが光栄で、違法犯罪は恥である。」--こんなことが普通、一国の首脳が国民に向かって、果たして呼びかけるのだろうか。こんなことを宣伝するために、平気で大キャンペーンを張るのは、単にその国が法治国家に程遠いということを証明しただけである。

王小峰がそのさも大事な国家的指針を「8r8c」と表記したのは、明らかにそれがいかにも原始的で、品のないものだと嘲笑している。

下にあるこのビデオクリップは、高視聴率を誇る中国版の「スター誕生」テレビ番組「超級女声」の2006年上位選手による、ラップ風の「八栄八恥の歌」だが、いかにも「8r8c」的で、いかにも「悪搞」的である。

「8r8c」

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