11/07/2006

75億円の馬鹿げた使い道

イェーテボリ丸は、1745年9月12日、広州港に来航した後、中国産貨物を満載し帰途に就き、イェーテボリ港を目前にして沈没したスウェーデン東インド会社所属の貿易船である。今年の7月18日、復元建造されたその船は、260年ぶりに広州港への入港を果たした。

今月6日、人気コミュニティサイトのKDNETに、転載という形で一文が寄せられ、香港で出版された一冊の本『イェーテボリ丸の秘密:その真相と欺瞞』を紹介している。

本の内容は、イェーテボリ丸の広州来航を巡る広州市政府による一連の腐敗を暴いている。 著者よると、1994年に開始された民家募金によるその船の復元は、開始早々にスウェーデン西部出身の数人の政客によって牛耳られていた。

利益主導のこの「文化交流」プロジェクトは、嘘で固められており、その幾つかを紹介すると、「スウェーデン東インド会社はアヘン貿易に一切参加していない」と吹聴したり、「今回の航路は260前のそれを忠実に再現している」と断言したり、「イェーテボリ丸は現在世界最大な木製帆船」と言ってみたりしている。

ヨーロッパ在住の著者は、現地で入手した第一次資料を使い、1767年からの相当早い時期に、スウェーデン東インド会社の三人の支配人が手を合わせ広州向けに150ケースものアヘンを輸出していると指摘、更に今回の航海についても、歴史上に記載されている航路とは関係なく、収益を上げられるように設定されており、航海そのものは、経済的利益を最優先にした興行キャンペーンに過ぎないと断じている。

問題は、この商業興行のために、今回の寄港地である広州市政府はなんと、公式に報道されただけでも、合わせて5億人民元以上、日本円にして凡そ75億円以上を突っ込んだのだ。

その使い道はというと、まずこの船の「歓迎式典」を見学視察するために、二つもの市政府代表団をそれぞれ南アフリカのエリサベス港とオーストラリアのフリマントル港に派遣している。スウェーデン東インド会社の船が歴史上、停泊したことのないこれらの港に向かった代表団の一行は、観光を楽しんで、カジノと歓楽街を満喫しただけなのだ。このほか、広州市内の道路の整備、四つの埠頭の整備、及び海軍軍艦の入港護衛にも膨大な経費を掛けている。

最も金が掛かったのは、今回の入港のためにわざわざ建設された南海神廟である。二億元を掛けたこの神廟の前には、巨大な人口湖が広がり、珠江から水を引く込むために川まで掘削。一億元以上を掛けて掘ったこの川と、湖の周辺に緑地を造成するためには、強制的に立ち退きが実施され、そこに住み着いていた農民の土地を強引に取り上げる過程の中で、激しく抵抗に遭い、命に係わる争いに発展する様相を呈していたのだ。

「イェーテボリ丸」の建造と今回の航海費用は、合計3000万米ドルで、スウェーデンでは全額民間の寄付によって賄えているに対し、広州市政府がこの一連の投資と浪費に使われたのは、全て市民の血税なのだ。

おまけに、なんとセレモニーのメイン舞台として、巨額なお金を掛けたこの神廟の建設は、史実の誤認の下で行われたものである。 確かに歴史上、船の出港時に、神廟への参拝は行われていたが、しかしその神廟は清朝になる前に、跡形もなく一旦は倒壊し、消えていたのである。つまり、イェーテボリ丸が来航する時代には、南海神廟は存在していなかったのだ。

しかも、神廟への参拝は、媽祖を信仰する中国人の習慣であり、南洋の属国から来た船乗り以外は、参拝しないのである。

8月19日、遥々スカンディナヴィア半島からやってきた白人の「イェーテボリ丸」船長が、「歴史を再現するために」南海神廟を参拝し、媽祖さまに向かって焼香している光景は、正に荒唐無稽、笑止千万という言葉に相応しい。

暴露本は更に、この猿芝居の背後に、広州市政府官僚が広州に来る予定だった胡錦涛国家主席へ媚を売る魂胆が見え隠れていると指摘した。

元々、胡錦涛氏と船に同行したスウェーデン国王との会見が予定されていたのだが、大航海の末、この肝心な行事が臨時に取り消され、北京で行われることになったのだ。

という訳で、これだけの血税を掛けて作られた広州市官僚のゴマすりの舞台で上演されたのは、結局はただの茶番になった。

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