11/14/2007

国家の敵--ある理想主義者の曲折した人生 by Jianying Zha

Enemy of the State -- The complicated life of an idealist

北京市第二監獄はこの街の郊外にあり、車で行く単調たる道のりには、何のそれらしい標識もない。その入り口は道路から0.1マイル後方に隠れており、私はいつもそのあたりでタクシーの運転手に、左手の曲がり道を注意するように促し、そうしなければ見過ごしてしまう恐れがある。道を曲がると、最初に見えるのは暗い灰色の金属扉、重苦しく、白いモザイクのアーチ型枠の中に嵌めてある。ゲートの中に小銃を持つ警備兵が立っている。周囲を囲む高い壁に電気を帯びる鉄条網がびっしり巻かれ、最大限な安全施設である。ゲートのすぐ隣にある応接室で財布と携帯電話をロッカーに入れ、身分証明書を提出し、呼ばれるのを待つ。長年の探視で、警官たちは皆顔見知りになったが、私に職業的な距離を保っている。私が面会するのは兄の査建国、民主志士の一人、「国家転覆罪」で九年間の有期懲役に処されている。

建国は1999年夏に逮捕され、知らせが届いた時のことは今でも鮮明に覚えている。その時私はカナダのモントリオールにある友人のキッチンに居て、挽きたてのコーヒーを飲みなら、当日の地元新聞のトップニュースを読んでいる。それは中国が新しく試射したミサイルに関するニュースで、射程距離がアラスカに達するといっていた。ニュースの最後に、建国の裁判について触れた。驚きと怒りが私を襲った。と同時に、彼の妹として、私はとっても誇りに思う:建国のいわゆる顛覆行為は、中国においてある野党--中国民主党(C.D.P)の組織に参加したことである。中華人民共和国の歴史において、かれらは初めて独立した政党を組織し登録しようとしたのである。係る一連のことは、建国と彼の同志たちによって完全に公開的な、且つ平和な方式で行われてきた。それで彼らは監獄行きになった。

七年前に面会が始めたばっかりの時期は非常に困難だった。毎回特別な許可を申請しなければならない。ただ三十分の会見で、二三人の警備員が建国と私のそばにくっ付いていて、中に「特別」な犯人を取り扱う「特管処」官僚が一人入っている。入獄前最後に顔を見たのは二年前だが、建国の身にある変化にとっても驚いた。「犯人頭」に髪が刈られ、灰色下地に白い縞模様の入った粗棉の囚人服を着て、重い結膜炎が感染し、彼の目には涙を含み、手と顔は腫れ、爪先は紫色に見え、深刻な栄養不足は明らかだ。厚い強化ガラスを隔てて面と向かい、電話を通しての話し合いーーその電話は卵黄色で、子供の玩具に見えた。その日々の私たちの会話は、どこか緊迫していて、そして意味深かったように思える。最初の何回かの面会の後、監獄長と対面、彼は若い人で、意外と礼儀正しかった。「貴女は私たちを青面で牙の伸ばした鬼と思っているのだろう?」彼は笑いながら私に言った。それから彼と建国の健康問題について話し合った。それからの数週間以内に、私がもっとも懇願した二つのことに結果が見えた。建国は厳重な警備の付いた密閉したトラックに載せられ、監獄を出てそれなりに良い私立病院に行き、身体検査を受けた。それに、彼を11人もの犯人が同居する部屋から、人数の少ない、比較的静かな部屋に移した。

To be continue

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